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東京・日本橋にある「アイリス ボタンの博物館」。アイリスといえば、1946年に創業した、ボタンを中心とした服飾付属品メーカーで、ボタンの博物館は、現在同社の相談役であり、名誉館長でもある大隅浩さんがコレクションしていたものを中心に、世界中から集めた約1600点のボタンを展示しています。今回は、館内を紹介いただきながら、ボタンの魅力に迫ります。
――今日案内してくれるのは、学芸員の金子泰三さんです。まずは、「ボタンの博物館」がどのような博物館なのか教えてください。
金子さん: オープンしたのは、1988年の「ボタンの日」である11月22日です。館長の大隅は、18~19世紀に貴族がファッションに使用していたボタンを収集していました。どれも現代にはない装飾美をもつものばかり。一般の方にもぜひ見ていただきたいと、展示したのです。
館内は、ボタンの素材ごと、時代ごとそれぞれの観点から分類して展示しています。音声ガイドを無料で利用できるので、ボタンの時代背景などを詳しく知ることができます。当博物館をご覧いただくことで、各国がどのような時代だったのかを、ボタンを通じて知ることができるようになっています。
――金子さんが思う、ボタンの魅力について教えてください。
金子さん: ボタンを通じてその時代を知ることができるとお話ししましたが、ボタンはまさに「時代を映し出す鏡」です。
ボタンには、主に2つの役割があります。
1つは、留め具としての役割、つまり機能性です。2つ目は飾りとしての役割、装飾性です。両者のバランスは、時代の趨勢によって変化します。
――その変化が分かるボタンはどのようなものですか。
金子さん: 例えば、18世紀フランス。貴族たちは、ファッションへの投資を惜しみませんでした。身に着けている物が、自分の権威や地位を表すことでもあったからです。
中でも、ブルボン朝の男性貴族たちのボタンは優雅を極めています。直径5㎝ほどの、当時非常に高価な象牙に手描きをしたボタンを、男性用のスーツのようなアビ・ア・ラ・フランセーズという刺繍などを施した衣服に付けていました。
貴族が身に着けていたボタンの多くは、表面にはペインティングなどが施されているため、糸を通すための穴は開いていません。また、ボタンホールがついていても、前をボタンで閉じて着ることはほぼありませんでした。つまり、ボタンは服の装飾の一部として付けていて、機能面はほとんど重視されていないのです。
一方、現代の若い方がイメージするボタンというと、直径2㎝ほどの丸くて薄い形状のものに、2つか4つの穴が空いているものでしょう。この形状は装飾性をそぎ落とし、製造のしやすさ、縫い付けやすさといった機能性に寄った形状です。100年ほど前からありますが、バブル崩壊と同時に装飾性の高いボタンの製造が終わりを迎えてからというもの、服の価格を下げるために、ボタンは小さく、簡略化されていきました。ブルボン朝のボタンとは対照的と言えるでしょう。
国が繁栄しているときは、ボタンのサイズも大きく、装飾性の高いものが生産されますが、低迷しているときには簡素になります。
1つのボタンには、その時代のトレンドやブームが凝縮されています。貴族が使用していたボタンでは、特にそれが顕著です。現代の人々が、装飾美豊かなボタンを知らないというのは非常に悲しいことでもあると感じています。
――時代の盛衰が、ボタンに如実に表れるということですね。時代によって、ボタンの使われ方も変化してきたと思いますが、そのことについて教えてください。
金子さん: ボタンのルーツとされているものは、ローマ時代の人々が着用していた、1枚布をまとう「トーガ」を留めていた「フィビュラ」です。これはボタンのルーツともいえるものです。
肩の部分で、トーガのひだが美しく出るように留める安全ピンのようなもので、青銅で作られています。1000年ほどの長きに渡って使われていたので、今でもイギリスなどヨーロッパ各地で発掘されることもしばしばあります。
当時は、ひだをいかに美しく出すかがファッションにおいて重要視され、また権力の象徴で、ひだを美しく出せる奴隷は高い値段で売買されていたそうです。
その後、ローマの十字軍が西アジアのイスラムに遠征します。そこで、袖付きの前合わせがある衣服を見て彼らは衝撃を受けます。自国でも真似しようと、ボタンホールを持ち帰って作るのですが、製造が困難だったため、普及するまでに500年近くかかったそうです。なかなか普及しない中で、代わりに登場してきたのが、チャイナボタンやダッフルコートのボタンのような、ヒモやチェーンなどでボタンを通すタイプの物です。厚みのあるボタンや、球型のものも使われるようになりました。
18世紀については、先ほどお話した通り、貴族たちが贅を尽くしたファッションの一部としてボタンを身に着けていました。
ただ、一方で、庶民の間では、貴族たちは贅沢な暮らしをしているのに、自分たちの生活はひっ迫する一方。そんな風刺画が描かれたボタンも流通しました。
また、貴族たちの趣味として狩猟が流行しましたが、狩猟クラブという団体のメンバーが身に着けていたハンティングボタンというものもあります。これを付けていることで、自分のステータスをアピールする役割も持っていました。
その他、恋のメッセージが記載されているボタンを、好きな人に贈ったり、好きな人の顔が描かれたボタンを身に着けたりもしたようです。
20世紀に入ると、服は大量生産の時代に入りました。西洋では、ココ・シャネルなどがオーダーメイドの衣類であるオートクチュールを作り出し、コルセットから女性を解放。女性の社会進出が進みました。機能性が求められるようになり、ボタンは変化していきます。
――素材別にボタンが展示されていますが、どのようなものがあるのですか。
金子さん: 天然素材としては、狩猟で捕った獣類の牙や角等が使われました。
獣を食肉として食べたあと、毛皮を衣類として使用し、残った牙などを切削していたようです。
ヤシの実や木、石を削ったものや、竹を編んだもの、皮革、貝なども使われました。
刺繍を施したボタンや、ガラスで作ったもの、七宝焼などの焼き物、金メッキを貼ったものなどもあります。
現代の技術でも再現できない刺繍の手法を用いた貴重なボタンもあります。おそらく、黒い糸に金色の糸を巻きつけるように刺繍していると考えられるのですが、どのようになっているのか、分かっていません。刺繍には「クロスステッチ」など、ステッチ方法によって呼称があると思いますが、このボタンのこの刺繍部分には、今でも名称がありません。いかに高度な技術がボタン作りに使われていたのかがうかがえます。
――街の手芸屋さんに行くと、デッドストックのボタンが多数おいてあるのを良く見かけます。価値が高いボタンを見分けるポイントはあるのでしょうか。
金子さん: 異なる素材を組み合わせて作られているボタンは、高価なものが多いです。
20世紀中頃には、プラスチック素材の種類も増え、色や形のバリエーションも広がり、優れた意匠のボタンが生産されました。プラスチックとメッキ素材など、複数の素材を組み合わせて作られているボタンは、価値があるボタンを見分ける一つのポイントになると思います。おばあさんのお裁縫箱をのぞいてみると、こんなきれいなボタンがたくさん入っていたという方も多いのではないでしょうか。
先ほど、現代の若い方がイメージするボタンは、穴が2つか4つ空いた装飾性をそぎ落とした簡素な形状のものだとお話ししました。日本ではバブル崩壊後は装飾美の豊かなボタンの生産がほとんどなく、それを知らずにいることは悲しいだと思います。ただ、2019年5月から新たな元号の年がスタートし、2020年には東京オリンピック、2025年には大阪万博と、国際的なイベントも続きます。明るい時代になり、こうした美しいボタンが再び流通する世の中になっていくのではないかと、期待しています。
◇ ◇ ◇
陶器で作られたボタンや、細かな柄が表現されたボタンなど、数センチメートルの小さなボタンの中には、たくさんのロマンが詰まっていました。完成するまでに高度な技術と、とてつもない手間暇がかかっているのだということが、その緻密さから感じられました。現在の日本では、その多くが簡素なボタンですが、金子さんがお話ししていたように、今後かつてのようなボタンが再び生産されたらいいなと思いました。
後編 では、ボタンにまつわる興味深いエピソードをご紹介します。
(お話をうかがった方)
アイリス ボタンの博物館
学芸員 金子泰三さん
住所 東京都中央区日本橋浜町1-11-8 ザ・パークレックス 日本橋浜町 2階
電話番号 03-3864-6537
営業時間 10:00 ~ 17:00(完全予約制)
休館日 土日祝
入館料 500円
http://www.iris.co.jp/muse/access.html
カテゴリー: 雑貨・小物
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