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各国の栄枯盛衰を雄弁に語る「ボタン」を1600点展示
アイリス ボタンの博物館 ~後編~

ボタンの博物館館内第1展示室から第4展示室

東京・日本橋にある「アイリス ボタンの博物館」。前編 では、ボタンの持つ役割や、時代によって用途に違いがあること、各ボタンの時代背景などをうかがいました。後編では、ボタンにまつわる興味深いエピソードを一挙ご紹介します。

①貝ボタン 絹織物と並ぶ輸出産業の花形

ボタンの素材の中でも、比較的高価な貝。日本の明治初期からの海外への輸出品として、代表的なものは絹織物でしたが、同時に輸出していたのが「貝ボタン」です。
当時から、貝ボタンは日本の主な輸出品でしたが、なんと今日においても奈良で作られた貝ボタンが世界シェアのかなりを占めているそうです。奈良県には海がありませんが、日本の手仕事の技術力が優れていることが、世界的にも評価されている証拠です。材料となる貝は、独自に海外から調達していました。

一方、欧州で製造する貝ボタンの材料の採集にも、日本人は深い関わりがあります。貝と一口に言っても、特に高級なのが、マザーオブパールと呼ばれる「白蝶貝」。真珠の母貝になりうる貝類で、非常に高価に取引できました。採集していたのは、和歌山県の突端、串本町の漁師たち。日本の沿岸ではほとんど採れないので、彼らがはるばるオーストラリア沖まで航海し、採取していました。このエピソードは、司馬遼太郎の「木曜島の夜会」という小説にも描かれています。

白蝶貝を使ったボタン-アイリス ボタンの博物館

白蝶貝を使ったボタン

串本の漁師たちの稼ぎは欧州へ輸出するための貝ボタン材料で、日本には持ち込まれていません。日本での貝ボタン製造が栄えたのと同時期にも関わらず、全く接点がないことが興味深いですね。

ちなみに、現代で製造されている貝ボタンの多くは、巻貝を使用しています。

②贅を尽くした服を一度しか着ない!? フランス貴族たちの生活

18世紀のフランス貴族たちが着用していたアビ・ア・ラ・フランセーズ(男性用のスーツのようなもの)やローブ・ア・ラ・フランセーズ(女性用のドレス)は、レースや刺繍などがふんだんに施され、贅を尽くした着衣でした。お金をかけたものを身に着けることが、自国が裕福なことの象徴する時代でもあったためです。

18世紀に着用されていた女性用ドレス-アイリス ボタンの博物館

18世紀に着用されていた女性用ドレス。レースや刺繍が施され、ボタンにはカットスチールがあしらわれている

彼女らセレブは同じ服は二度と着用しません。1日に何度か着替えることもあったので、1日にかかっていた衣服代は何千万円にも上ったことでしょう。特に、フランス国王ルイ16世の王妃マリー・アントワネットの衣装代は、国家予算の1割を占めていたとか。

こうした浪費が発端となり、庶民が反乱を起こしたのがフランス革命だったのです。

③ミクロモザイクボタン 小さなガラスを組み合わせて作る職人

1㎜にも満たない小さなガラスを土台に並べてはめ込み、花や動物などの絵柄を表現するボタンがミクロモザイクボタンです。

アイリス ボタンの博物館アイリス ボタンの博物館

18世紀のイタリア・ローマで作られたミクロモザイクボタン。1つ当たり500個のガラスが埋め込まれている

こうした高度な技術を使うボタンの作り手は、専門の作家や職人が行っていました。ガラスを切断する専用のノミなど、道具自体も作っていたそうです。
この非常に高度な技術は、15世紀ごろからバチカンに始まり、現在でも脈々と受け継がれているそうです。

④世界に誇る日本の技術 薩摩焼「SATSUMA」は現代でもコレクターの羨望の的

鹿児島の伝統工芸である薩摩焼の技術を使ったボタンは、江戸末期から明治にかけて西洋で高い評価を受けました。

薩摩ボタン-アイリス ボタンの博物館

白薩摩という陶器に絵付けが施された薩摩ボタン。金が使われている

産業革命ですでに工業化された西洋人にとって、日本の手工芸品の完成度の高さは驚きでした。

江戸時代末期に、薩摩藩はボタンの制作をはじめ、いろいろな物を輸出しました。西洋で流行した日本趣味「ジャポニスム」も、こうした日本からの輸入品を背景に、西洋の人々を魅了しました。

⑤イギリス・バーミンガムを代表する有名人たちとボタン

金の蒸着(真空中で金を加熱・蒸発させ、その蒸気を他の物質の表面に付着させること)ができるようになるのは、産業革命で真空状態を作れるようになってからでした。バーミンガムでは、金属工業が栄え、金メッキを施したボタンも製造できるようになりました。

アイリス ボタンの博物館

カットスチールを施したボタン

産業革命の発端となったのが、イギリス・バーミンガムでのジェームズ・ワットによる蒸気機関の発明。
蒸気機関を開発するには莫大な費用が掛かりましたが、その資金援助をしたのが金属加工を手掛けていたマシュー・ボルトン。彼は、鉄鋼にダイヤモンドのような多面カットを施したカットスチール技術を使って作ったボタンを製造。また、それを額縁のようにし、交流のあったウェッジウッドの作った磁器をはめ込んだボタンなども製造しました。そのボタン作りで稼いだ資金を蒸気機関に投じていたそうです。

バーミンガム語る上で欠かせないジェームズ・ワット、マシュー・ボルトン、ジョサイア・ウェッジウッドは、みんなボタンに関係していたんですね。

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前編・後編に渡って、ボタンの博物館のレポートをご紹介しました。これまで、ボタンを「留め具」としか見ていなかった筆者にとっては、さまざまな驚きと発見がある取材でした。日本の技術は、ボタンの分野でも世界から評価されていたことは、日本人として嬉しくも感じました。「装飾」としてのボタンが再び普及するようになれば、ハンドメイドの表現の幅がますます広がりそうですね。
こちらの博物館は予約制なので、事前にお電話かメールで申し込みが必要です。興味を持った方は予約をして、ぜひ博物館で実物を見てみてください。きっと、今まで知らなかったボタンの魅力に惹きつけられるでしょう。

(お話をうかがった方)
アイリス ボタンの博物館
学芸員 金子泰三さん

アイリス ボタンの博物館

住所 東京都中央区日本橋浜町1-11-8 ザ・パークレックス 日本橋浜町 2階
電話番号 03-3864-6537
営業時間 10:00 ~ 17:00(完全予約制)
定休日 土日祭日
入館料 500円
http://www.iris.co.jp/muse/access.html

カテゴリー: 雑貨・小物

 

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